鹿ぞきゃんきゃん

先日、「夕方になると鹿の鳴き声が聞こえます」というコメントを

いただいて以来、

頭の中に「鹿ぞきゃんきゃん」が浮かんでいる。

 

こどものころ、家族で花札をしていると

横で見ている父は、鹿の札を見て

「鹿ぞきゃんきゃん」と言うのだ。

そして、父の母が、こう言っていたと言うのだ。

 

世の中よ道こそなけれ思ひいる山の中にも鹿ぞ鳴くなる、の

最後を、鹿ぞきゃんきゃんと。

 

 

父の母…つまり、私の祖母なのだけれど

父の母という言い方しかピンとこないのは

祖母は、父が14歳のころ、

42歳で亡くなっていて、当然、私は会ったことがないからだ。

 

父がこどものころ、家で百人一首していたんだろうか?

それとも、花札をしていて、そんな話になったんだろうか?

父も、もういない。聞いておけばよかった。

 

無いだろうなと思いつつ「鹿ぞきゃんきゃん」で検索して見たら

何件か、出てきた。

結構高齢の方が母が言っていた…と書かれていて

祖母の造語ではなかったことがわかった。

 

去年、いとこが、祖父の日記というか、自分史のようなものを

コピーして持ってきてくれた。


妻は…

頗る従順で、頗る意志も強固である。

正直である。

新しき女かぶれするような性質ではない…など、など、書いてある。

 

尋常小学校からの学歴も書いてある。

女学校から、裁縫専門学校へ。

祖母の女学生時代、想像図。

制服が裾に三本線の入ったハカマだったのは調査済み。

でも、色はわからなかった。

 

 

さて…

「鹿ぞきゃんきゃん」が祖母の造語ではないということは

雑誌かラジオか、なにかで言われていたのか?

女学生たちが思いついたことが、全国的に流行ったのか?

 

女学生だった祖母は、友人たちと、きゃぁきゃぁ笑いながら

「鹿ぞきゃんきゃん!」と言っていたんだろうか。

 

父によると

祖母は「乳母日傘」で育ったお嬢様だったらしい。

女学校に行っていたというのもうなずける。

 

しかし、祖母も早くに亡くなっているが

祖父は、祖母よりも7年前もに亡くなっていて

祖父亡き後は、豆腐が買えないくらい苦しい生活になったらしい。

 

ジェットコースターのような人生だったんだろうか。

写真の祖母は、いつもきりっとしている。

(昔の写真の写り方のせいもあるかも)

写真で見る姿が、若いので、おばあちゃんと呼ぶ気がしない。

きゃんきゃん、を思い出して以来

女学生の姿で笑ってる姿を想像してしまう。